
-誰もが懐かしさを覚える映画
今回は宮本輝の処女作を小栗康平が初監督作品として映像化した『泥の河』です。加賀まり子の凄いとも言える美しさ(実際に美しい女性をより美しく撮るフランソワ・トリュフォー監督も彼女を起用しようとしたことがあるそうです)がやたら話題となりましたが、この作品で主人公の母親役を演じる藤田弓子も女性と母性を同時に漂わせていて実に魅力的です。私としては藤田弓子のベスト映画としてはこの作品を挙げたいと思いますし、父親役の田村高廣もいい味を出しています。
川で船上生活をしている加賀まり子親子(姉と弟)と主人公の少年との「ひと夏の出会いと別れ」が、美しいモノクロ画面に描かれていて、何回繰り返してみても、ああ子供の頃はこんな光の中で生きていたんだなとの懐かしさを覚えます。
-「河童の覗いた」のルーツ?

最初からいきなり脱線ですが、今秋LIXILで開催されていた西山卯三展で戦後の住宅不足の時代の中での船上やバス車内での暮らしぶりが紹介されていて大変興味深く見ていました。一時期、妹尾河童の「河童が覗いた」シリーズ(私としてはインド編がお気に入りで、腹を壊さないとインドは自分のものにならないのかと曲解して嵌っていました。)がブームになりましたが、西山卯三は早くから室内を俯瞰で描いていたのですね。
-エロス/タナトス

『泥の河』に戻りますと、宴(夏祭り)の後でタナトス(炎に包まれる蟹)が逃げる先にエロス(加賀まり子)が潜んでいるシーンは大変印象的で、エロスとタナトスが隣り合わせであることを感じさせられます。
この蟹のシーンが後年、道尾秀介の直木賞受賞作『月と蟹』の中のヤドカリの儀式のシーンを読んでいるといつも思い浮かんできました。子供の残酷さと炎への憧憬という点で類似していると思われます。
私も地方勤務をしていた頃の夏の朝、蟹の骸を見つけるとエロス/タナトスを感じていました。
この小栗康平監督の最新作は今のところ『FOUJITA』です。
オダギリジョーが演じる藤田嗣治のパリ時代と戦争画を描かされていた日本での時代とを二部構成で描いています。ギヨーム・アポリネール(このサイトをご覧になって下っている方々にはマリー・ローランサンの恋人と言った方がおなじみでしょう。)のあまりにも有名な詩「ミラボー橋の下、セーヌは流れる そして私たちの愛も…」もオダギリジョーによって朗読されています。
-露出が増えた藤田作品
『FOUJITA』の中にはサンジェルマン・デ・プレのクリュニュー美術館での映像も出てきたと記憶しています。確かに、東近美常設ではユニコーンとの関連を想起させる藤田作品がよく展示されていますね。
大人の事情からか、最近やたら露出が多くなってきた藤田です。埼玉近美「リベラ展」もそうでしたし、損保ジャパン美術館「ランス展」は、藤田嗣二展の趣さえあり、藤田のペ(ラテン語のパクスにあたります)が大きく取り上げせれていましたが、私にとって三大シャペルと言えばヴィルフランシュ・シュル・メールのコクトー「シャペル・サン・ピエール」、ヴァンスのマチス「シャペル・ロザリオ」、そしてランスの藤田「シャペル・フジタ(ノートル=ダム・ド・ラ・ぺ)」です。結局コクトーにしか行けないまま人生を終えそうです…足腰がしっかりしていて、気力・体力そして何よりも感性の瑞々しさを保った若い時に行かなくてはだったのですね。何故行かなかったのかと今になって後悔しています。
-仮面をつけた道化師
映画の前半では、モンパルナスのキキやキスリング等のエコール・ド・パリの仲間との乱痴気騒ぎで藤田が「司祭」演じる姿が描かれています。東近美常設に殆どいつでも展示されている藤田のパリの風景画は乳白色を打ち出す前の作品で、松本竣介ばりの静謐な世界感が感じられます。フーフーと呼ばれ、司祭(道化)を演じていた藤田の素顔はどんなものだったのでしょうか?
仮面の絵画と言えば一般的にはアンソールを真っ先に思い浮かべるのでしょうが、私は国吉康雄の仮面をつけた道化師作品に心惹かれます。日本人でありながら、太平洋戦争中にポスター等で米国に協力した自画像であることは疑いありません。(国吉と言えば、皆様も美術検定2級受験時に「藤田嗣治の仏、国吉康雄の米、北川民治の墨」とインプットなさいましたよね。)
以前、日曜美術館で国吉特集が放映された時は、国内で国吉の回顧展が?と期待したのですが、その時は米国のみの展示でありました。実際アメリカでは国吉が渡米したころは「国吉?国芳とは違うのか?」とか言われていたのが、今日では何故本国日本では国吉の人気がさほど高くないのかと不思議がられているようです。そごう横浜店での国吉展では、冒頭に展示したあった作品の中の「走る少女」がシルエット等で形を変えながら何回も展覧会場内に登場し、鑑賞者にも問いかけをしてくるお見事な展示でした。「何故私は走り続けなくてはいけないの? 走り続けなくてはいけなかったのは国吉さんあなたでしょう」を目にした時は、少女にブラバー!をかけたくなりました。
東近美常設で国吉『誰かが私のポスターを破った』が展示されていると、会期中何回も足を運んでしまいます。安部公房『壁』に「世紀」の盟友桂川寛がつけた挿絵(特に「とらぬ狸」)と並んで、欲しくてたまらない東近美所蔵作品です。
次回は「仮面、素顔」というロンドで、このブログではお馴染みのジャック・プレヴェール脚本、マルセル・カルネ監督の不朽の名作『天井桟敷の人々』について綴ります。