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「風景画」としての「印象派」

「風景画」としての「印象派」

 モネの作品から考える

日本人に人気の印象派。そのルーツが、クロード・モネの「印象・日の出」にあることはよく知られている。

今回は、この作品を「印象派のルーツ」としてではなく、「一点の風景画」としてとらえることで、その魅力を考えてみる。

これどこだろう・・・

まず、この作品を「風景画」としてとらえたとき、当然出てくる疑問は「どこの風景を描いたか?」であろう。実はこれについては、答えがはっきりしている。ノルマンディの港町、ル・アーヴルである。

しかし、ここで重要なのは、我々が風景画を鑑賞するときのスタンスにある。

通常、「印象・日の出」を鑑賞するとき、「ル・アーヴルがどんな風景かを調べる」目的で美術館を訪れることはない。我々が作品に期待するのは、「モネがル・アーヴルをどのように描いたか」をとらえることにある。

そして、もう一つ重要なのは、描いたモネが鑑賞者に伝えたかったのも、おそらくは、「当時のル・アーヴルの風景」ではなく、「当時のル・アーヴルに対する自分の印象」であったということだ。

「印象」は変化する

さて、そもそも「印象」とは「ある人があるものを見た時の感じ方」である。

同じものを同じ時に見ても、その印象は「人それぞれ」なのだ。

また、もっと興味深いことに、同じ人物が同じものを見ても、昨日と今日とでは、印象は異なってくる。

したがって、「印象・日の出」で表現されたル・アーヴルの風景に抱いたモネの印象は、非常に「主観的」かつ「瞬間的」なものであったといえる。

「印象」と「再現」

この「主観」と「瞬間」こそが、印象派を印象派たらしめている大きな要因といえよう。

モネが「印象・日の出」でねらったのは、ル・アーヴルの風景の「再現」ではない。描いた「瞬間」のル・アーヴルの風景に抱いた「主観」、すなわち「印象」の表現なのだ。

この点は、同じ風景画でも、細部まで「再現」された、フェルメールの「デルフトの眺望」と比較すると、非常にわかりやすくとらえることができると思う。

フェルメール「デルフトの眺め」

おしまいに

今回は、「印象・日の出」を「風景画」としてとらえるところから、印象派の魅力について考えてみた。

風景画の面白さは、同じ風景を描いても「百人いれば百通り」の作品が出来上がるということにあると思う。

特に、作者の「主観」が全面に押し出されている印象派の作品では、この点は顕著だろう。

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この記事のライター

aloreライターmilkhoppy
<出身>
仙台生まれの東京・川崎育ち。

<所有資格>
アートエバンジェリスト、美術検定2級、教員免許。
 
<意気込み>
「正確なインプットと分かりやすいアウトプット」を、常に心がけ、頑張りたいと思います。
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