
画家の愛情表現
当然と言えば当然だが、画家が自身の妻を描いた作品の数は、かなり多い。
今回は、その中から、レンブラントの「フローラ姿のサスキア」とモネの「日傘の女」を取り上げ、二人の愛情表現を見てみたいと思う。
レンブラント「フローラ姿のサスキア」

さて、ここに描かれているのは、レンブラントの妻、サスキアである。
もともと、フローラとは、ローマ神話に登場する、花と春と豊穣の神のこと。ティツィアーノをはじめ、フローラを「神話上の人物」として扱った画家も少なくない。

しかし、このフローラを実在の人物になぞらえたとなると、話がちがってくる。しかも、自分の妻ともなれば、これはなかなかの「のろけっぷり」である。
レンブラントは、実際にこの「のろけ」を作品として表現した。
ティツィアーノの作品にあるような、官能性はさすがにないにしろ、手に花をもたせ、頭には花の冠をかぶせた。
フローラへの崇拝が、ティツィアーノによって、作品に表現されたように、自分の妻への崇拝を、レンブラントは、この作品によって、表現したのだろう。
モネ「日傘の女」

モネの作品は、光にみちあふれている。それが、モネの「得意技」だったわけだが、彼にとって、妻であるカミーユへの愛情を表現するのに、この「技」を使わないことは、全く考えられなかったことだろう。
レンブラントと違い、モネは妻を神聖化することなく、ありのままの姿で描いた。そのことは「日傘の女」に描かれている女性、妻のカミーユ、が花を持ったり、冠をかぶったりせずに、ごく自然に傘を持っていることからも明らかであろう。
彼は、妻のありのままの姿に穏やかな光を当て、作品全体を非常に明るい雰囲気で仕上げることによって、自分の愛情を精一杯表現したのだと思う。
愛情表現も人それぞれ
レンブラントとモネの二人の愛情表現は、非常に異なっている。
レンブラントは、妻を女神に見立て、モネは、妻に暖かな光を降り注いだ。
ただ、本当に問題となるのは、描かれた本人、レンブラントであればサスキアが、モネであればカミーユが、その愛情を愛情として受けとるかどうかという一点につきるのだと思う。
現代に生きる我々も、「愛情の押し売り」だけは避けたいものだ。