
「写実」のルーツ
19世紀のフランスで流行する「写実主義」は、ギュスターヴ・クールベによって、有名となった。

クールベの故郷、オルナンの埋葬場面を描いたこの作品は、1855年の万国博覧会に出品。しかし、歴史画にも匹敵するその大きさによって、一大スキャンダルとなった。
それをきっかけに、彼が個展を開いたエピソードは、結構有名である。
しかし、後世の画家たちに影響を及ぼしたのは、彼のスキャンダルでも個展でもなく、彼の制作スタンスであった。
「写実主義(レアリスム)」という言葉は、クールベや批評家エドモン・デュランティによって、大きな逆風を受けながら広まっていくのだが、面白いことに、この「写実」の解釈が、時代とともに変わっていくのである。
何にそっくり?
「写実」は平たく言えば、「そっくり」という意味である。19世紀の、印象派につながる作風の流れは、この「そっくり」の解釈を、クールベとモネで比較すると面白いし、分かりやすい。
クールベの「そっくり」は、ズバリ「見たまま」。「オルナンの埋葬」では、クールベは、葬式の場面を、自身が見たままに、忠実に描いている。
これに対して、モネの「そっくり」は、「感じたまま」。「日傘の女」で重要視されているのは、「皆がどんな女に見えるか?」ではない。「モネがどんな女だと感じたか?」なのである。

また、当然のことながら、人間の感性は、時間と共に移り変わるし、対象も時々刻々変わっていく。
だからこそ、モネの場合には、ひとつの対象を何度も描く「連作」が可能なのである。



印象派作品を鑑賞するとき、画家が何に対して「そっくり」を狙ったのかを探るのは、かなり面白い見方であると思う。
おしまいに
「写実」とか「レアリスム」というと、かなり専門色の強い言葉になってしまい、極端な場合には、作品鑑賞の妨げになってしまいかねないと思う。
でも、要は「そっくり」なのだ、と思えば、今回書いたような見方は、誰もが簡単に、気づけるところなのではないだろうか?
「言葉の雰囲気に惑わされない」ことも、作品の鑑賞では、大事なのかもしれないなあ・・・。