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印象派を流行させたのはサロンだった!?

印象派を流行させたのはサロンだった!?

「印象派」というくくり

日本人に人気の印象派。

特に人気が高いのは、モネやルノワールといったところだろうか?国立西洋美術館の常設展に行くと、この二人の作品の前には必ず鑑賞者がいるし、モネの「睡蓮」の前にはよく人だかりが出来ている。

しかし、作品を少し見ただけでも分かるのだが、彼らの画風はかなり違う。決定的な共通点は、実はほとんど見つからない。

それにもかかわらず、私たちは彼らを「印象派」とくくることにそれほどの抵抗を覚えない。そして、そのようなくくり方が日本人のみに見られるものではないことは、”Impressionist”という英語が存在することからも、おおよそ想像がつく。

一体なぜ、私たちにはこのようなくくり方が抵抗なく出来てしまうのだろうか?

「印象派の画家」の結束点

モネ、ルノワールに限らず、私たちが「印象派の画家」と言ったとき、そこに横たわる共通点は実は一つしかない。「印象派展に一回でも出品した」ということだ。本当にそれしかないのだ。

だから、印象派展に出品歴のないマネは「印象派の画家」には属さない。よく「マネと印象派の画家たち」とマネだけ別に加えられたような表記が見られるのは、そのためだ。

では、どうして「印象派の画家」たちは、「印象派展」にたとえ一回であったとしても、わざわざ出品をしたのだろうか?

「アンチサロン」としての印象派

全部で八回開催された印象派展。記念すべき第一回が開かれたのは1874年のこと。

開催当時、フランス美術界には、ルネサンスに基づく古典的な画風に唯一絶対の価値を認める「サロン」という存在が猛烈な権威を振るっていた。当時の画家はこの「サロン」のお墨付きをもらわなければ、生活が成り立たなかったくらいだ。

モネもルノワールも当初はサロンに出品していた。しかし、落選が続いていたために、彼らはサロンから独立した「アンチサロン」として「印象派」を立ち上げた。

実はこれこそが、私たちが「印象派の画家」を一くくりにしてしまう最大の要因である。

「敵」が強ければこそ、「アンチ」が結束する

美術の世界に限らず、「敵」の強さが「アンチ」の強さをも決めてしまうのは、今も昔も同じこと。

「印象派展の流行」は「サロンの強さ」があったからこそなしえたものなのだ。つまり、印象派を本当に流行させたのは、実はサロンだった!

だからこそ、時を経てサロンの権威が弱まったとき、それによって、アンチとしての印象派の権威も弱まることになった。

サロンも印象派も、今も昔も、用の東西を問わず、「諸行無常」である。

この記事のライター

aloreライターmilkhoppy
<出身>
仙台生まれの東京・川崎育ち。

<所有資格>
アートエバンジェリスト、美術検定2級、教員免許。
 
<意気込み>
「正確なインプットと分かりやすいアウトプット」を、常に心がけ、頑張りたいと思います。
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