
-バブル期じゃなかったら上演されなかったかもしれない不思議な映画?
今回はモーリス・ベジャール監督・脚本・振付による映画『そして私はベニス生まれ』(原題Et je suis ne a Veniseの直訳通り)です。この映画の中で、ヴァグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の名旋律「愛の死」が使われていることがロンドです。因みにヴァグナーはベニスで亡くなっていて、葬儀の時に彼の棺を担いだ一人はかのダヌンツィオです。この作品のDVDは出ていないと思いますので、作品概要を記します。現代のベニスで男女フィリップ・リゾンとショナ・ミルク(20世紀バレエ団時代にダンサーとして来日し、ベジャール振付のラベルの『ボレロ』を披露したことがあります。たしかモーツァルトの『魔笛』も踊っていたような記憶もあります。)が出会う話と、太陽神であるジョルジュ・ドンと月の女神であるシャンソン歌手バルバラとの子アンジェロ(イタリア語で天使の意味、リゾンの二役)が中世の世界で父親殺しを企てるという、実の世界と虚の世界が幻想的かつ耽美的に交錯するベジャールワールドです。現代のシーンではメフィーストフェーレスのような顔立ちのベジャール本人も出演していました。
私は、バブル期に表参道の森英恵ビルに入っていた映画館でこの作品を観ました。随分前のことなのと、最近呆けも進んできているので記憶が薄れていますが、運河沿いの鍵のかかった錆びた倉庫のドアを開けてくれとリゾンが拳で叩くシーンや、現代と中世が交錯し現代のベニスでアンジェロが太陽神に蹴飛ばされているシーンに「愛の死」のメロディーが乗っかり、映像と旋律がやたらマッチしていたように記憶しています。ポスターを購入し今でも手元にあるのですが、写真貼り付けが可能かどうか判らないのでやめておきます。そう言えば、10年程前のケヴィン・レイノルズ監督の映画『トリスタンとイゾルデ』は評判が良かったものの、「愛の死」の旋律は出てこないとの理由だけで観にいきませんでした。
-同じ「汗だく」でも大違い…
アダージェットは勿論、ヴィスコンティの『ベニスに死す』で用いられたグスタフ・マーラーによる第五交響曲の第四楽章で、ジョルジュ・ドンの汗だくの写真が印象的でした。このブログ「汗だく」のタイトルは「ただでさえ暑いのに汗だくは引く~」とのご意見も戴きましたが、同じ汗だくでもドンの汗まみれの姿は人の心をわしづかみにするものでした。
-ジョルジュ・ドン/ベジャールといえばやはり「ボレロ」
一昨年位にシルヴィ・ギエムによるベジャール振付のラベル『ボレロ』を踊っての引退公演が話題になり、最近のCМで渡辺直美が汗だくで踊っていたのも『ボレロ』でしたが、『ボレロ』といえばやはり、ジョルジュ・ドンのイメージが一般的ですよね。
こちらはDVD化されていますのでストーリー紹介は省きますが、4人が一堂に会するクライマックスはベジャール振付によるドンの『ボレロ』舞踏シーンでした。この『ボレロ』には声楽が付いていたので、映画公開後しばらくは、演奏会で声楽なしの本当の『ボレロ』の姿に「あれ?歌がない」と戸惑っている聴衆の姿が散見されたということです。
―時代のキーワードは身体性
美術アカデミー&スクールでの林卓行先生のコンテンポラリーアート授業を受けていた時に、先生が今日のアートの特徴は「関係性」と「身体性」であるということをおっしゃってました。そう言われてみれば、ドラマのエンディングやCМ等でやたら目にする踊りまくりは「身体性」の文脈からでしょうし、バラエティー番組でのサプライズ(ハプニング)も「関係性」の文脈からということなのですね。
-ベニスで死ぬ前に『五つの銅貨』で心温まりましょう
次回はこのグレン・ミラーも若いころ所属していたという(設定の)レッド・ニコルズと五つの銅貨楽団をモデルとしたハートウォーミングな音楽映画『五つの銅貨』です。勿論『ベニスに死す』も「生」と「死」のロンドで真っ先に思いつきましたが、この『五つの銅貨』で心を温めながらもう少々お待ち下さい。