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番外編Ⅱ「なぜ日本の幽霊に足がない?全生庵で判るその答え 応挙に聞け!」

番外編Ⅱ「なぜ日本の幽霊に足がない?全生庵で判るその答え 応挙に聞け!」

いきなり始まりますが、シチュエーションは前回番外編のまんまで続きとなっていますので、ご関心のある方は「前回」をご覧下さい。少しは涼しくなるかとアイキャッチ画像だけ変えてみました。

ヒマラヤ杉から日本芸術院の前を通り、三崎坂の谷中堂/猫衛門と全生庵を目指す二人

―「猫」と「幽霊画」をうたい文句にしているくせに、前回の私達の会話には「猫」と「幽霊画」がどこにも出てこないじゃないかと評判が悪いですよ。

―実は「猫」と「幽霊画」の話は、当日用にと出し惜しみをしていたんだ。

―長生きしているくせにそんな青いことを言ってると、当日そのものもなくなっちゃいますよ。

―それもそうだな… 書道博物館で話した中村不折は夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵も書いたりしている。ここ「谷中堂」と「猫衛門」では、オリジナルの招き猫を作ってもらえたり、お茶をしながら絵付けができたりする「猫町」にはピッタリの店だ。

―ここが「全生庵」ですか。私じゃなくて高岡早紀さんとデートした時、たしかここで二人で座禅を組んでましたよね。その時は、煩悩全開でお坊さんにしっかりと叩かれてたじゃないですか。

―いや、その… 今日は幽霊画の話をしよう。幕末から明治にかけての名人落語家円朝の墓があるここ「全生庵」には、円朝コレクションの「幽霊画」が残っているんだ。

―名人円朝って、重要文化財となっている鏑木清方『三遊亭円朝像』のあの円朝さんですか?

―うん。円朝は怪談噺を得意としていて、資料的な意味あいからも生前に百幅の幽霊画を集めていたんだ。今でも五十幅の幽霊画が残っていて、円朝忌の行われる8月にこうやって全幅の一般公開をしているんだ。

―この絵、本の写真で観たことがあります。幽霊に足がないというというのは、この絵から始まったというようなことが書いてあったような…

―そうなんだ。伝円山応挙とされるこの作品が肉筆画での「足のない幽霊画」のはしりとされている。「写実」で定評の高かった応挙が描く「架空」の幽霊画というのも面白いだろ。その後、応挙の弟子や追従者達がこぞって足のない幽霊画を描いたので、幽霊には足がないというイメージが広まったようだ。元々、舞台等では幽霊に足が無いというイメージが出来あがっていたので、足のない幽霊画も割とすんなり受け入れられたのだろうね。

―牡丹灯籠のお露さんとか鬼太郎の下駄の音みたいに足のある幽霊もいますよね。私は子供の頃、おばあちゃんの布団の中で牡丹灯籠の話を聞かされると、カランコローンという下駄を鳴らす音が聞こえてきそうで、夜怖くてトイレにも行けなかったんですよ…

―牡丹灯籠は中国からの影響が残って足のある幽霊になっているようだ。実は幽霊に足が無いのは日本でだけなんだ。それと牡丹灯篭は結構長い話で、序盤のお露さんの下駄の音がやたら有名だけど、本当に怖いのは人間の業が感じられる終盤だよ。お露さんのところで怖がっているようじゃ青いな…

-青いな返しのつもりですか?そんなところが本当に青いんですよ…

絵馬堂、すぺーす小倉屋等の立ち並ぶタイムスリップしたような通りを抜け朝倉彫塑館へ

―よし、今回は「猫」の話もしっかりとしなくてはだな。ここの主だった朝倉文夫は猫を溺愛していたことで有名で、9/2~12/24にはここで「猫百態展」が開催されるんだ。

―ちょっと変わった外観の建物ですね。

―朝倉は彫刻家として初めて文化勲章を受章する程の力量を持っていたが、生き方も個性的で、貧乏で藝大を辞めなくてはならない学生達のためにここを住居兼アトリエ兼塾にして無償で塾生を指導していたんだ。朝倉自身が設計し何回も改築・改装を重ねたこの建物は国の登録有形文化財に登録されていて、庭を含めた敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されている。彫塑の傑作の数々と並んで立派な朝倉文夫のアート作品と言えるね。コンクリート造りのアトリエ棟と数寄屋造りの木造住居棟の組合せという面白い空間となっているんだ。さあ、中に入ってみよう。

朝倉彫塑館に入館する二人

―この広い空間がアトリエだったんですね?

―極めて合理的な考えの持ち主だった朝倉は彫塑制作時に人間が上り下りするよりも、彫塑を上げ下げすれば楽じゃないかと地下に電動昇降台機構を備えたり、拾ってきた曲がった木材を活用してその木材に合わせた設計をしたりしているんだ。絵画用アトリエじゃないからかもしれないが、伝統的な北窓ではなく三方より自然光を取り込んでいる。自身の運動不足を解消するために館内に段差も多く設けられているよ。「猫百態展」の時は、この電動昇降台を実際に動かす時もあるようだ。

―高崎山のボス猿の作品なんかもありますね。

―朝倉は大分の生まれで、出身地大分にも記念館がある。大分で有名な竹細工に愛着があったのか、この建物にも竹が効果的に多用されているよ。

―ここが書斎ですか。天井まで本がぎっしりですね。

―関東大震災を経験した朝倉は耐震性を意識して天井まで壁のように書架を造りつけたんだ。今も藝大に残っているロダン「青銅時代」が大震災で壊れた時の修復も朝倉が手掛けている。これらの書籍は朝倉夫妻の仲人であった美術評論家岩村透の蔵書散逸を防ぐため、家を抵当に入れてまで朝倉が古書店より買い戻したものなんだ。

―わ~素敵な中庭! 水が迫ってきている感じですね。

―建物と中庭の一体感が感じられる空間構築には朝倉の美意識や彫刻家としての視点が活かされているね。以前は中庭の五つの石にはそれぞれ儒教の五常「仁・義・礼・智・信」の言葉がが対応するとの解説がついていたけど、朝倉本人が言った、記したという記録が無いので今では撤去されている。あの一番大きな石の下には鯉が通れるスペースがあり、石が水に 浮いているかのような浮遊感が感じられるね。この水は谷中の湧水なんだけど、水が動くような工夫がいたるところに施されている。季節毎に味わいが変化するから、また違う季節に来てみると面白いと思う。雨樋に蝶の意匠なんかも隠れているからじっくりと探してみるといい。

朝倉彫塑館の二階へ

―残念、奥へは入っていけないんですね。

―「令嬢の間」なんかがあるけど、普段は非公開となっている。結構長生きした二人のご令嬢は最近亡くなっているが、長女摂は日本画家から舞台美術家となり、次女響子は彫塑家になったんだ。朝倉は二人の娘を学校には行かせず家庭教師を呼んで教育するというようなうユニークな育て方をしている。響子作品からは、藝大で朝倉の教え子であった佐藤忠良の影響が感じられるよ。家族ぐるみで付き合っていたようだ。

更に屋上へ

―ここからの眺め、とっても気に入りました。周辺の雰囲気もこの建物の造りもよ~く見えます。屋上に庭園があったんですね。

―屋上庭園のはしりといえるよ。彫塑も園芸も「土から命を得る」ということで、塾生には園芸が必須科目だったんだ。

―豚の壁泉がおちゃめですね。ヨーロッパの街の肉屋さんに入ったみたいな感じです。

―これは朝倉本人ではなく塾生の作品で、口から水が出ている時もあるから、見たかったらHP等で調べてから来るといいよ。

フィナーレは蘭の間(猫の間)で

―自然光が差し込む気持のいい懐かしい空間ですね。屋上の作品「砲丸」もここから観るのがベストアングルかも。

―東洋蘭の温室であったサンルームで、蘭栽培、俳句、釣り、生け花等多趣味であった朝倉はその全てが玄人クラスの腕前だったそうだ。今はここに猫の作品が展示されていることが多いよ。朝倉は前の東京五輪に合わせて「猫百態展」を計画していたそうだが、死去により実現しなかったんだ。来月からの「猫百態展」はその文脈からの企画だね。朝倉はこのすぐ近くの谷中霊園に眠っていて、その墓にはいつ来ても新鮮な花が供えられているよ。

8/26に谷中巡りを体験してみませんか?

前回と今回分のこの二人の会話ルート+αを実際に辿ってみたい方は、8/26(土)午前中に谷中ツアーを開催致しますので、ご検討をどうかよろしくお願い致します。

八月の谷中で出会う猫と幽霊画(2017年8月26日(土)開催)

この記事のライター

aloreライター春山博美
2008年に美術検定1級合格、2009年東京都美術館で開催された『美術館名品展』にてアートナビケーターとして初ボランティア参加。
その後、美術アカデミー&スクールが主催するART LABO等で研鑚を積みつつ、2015年に初代アート・エバンジェリスト認証を取得。週末は冬でも汗だくで専ら美術館・画廊を巡っている。
ガイド歴はDIC川村記念美術館、朝倉彫塑館等の個性ある美術館を好み、また「アトリエ巡り」として新宿落合地区での中村彝、佐伯祐三の西洋画アトリエ、川端龍子記念館での日本画アトリエ等の紹介を得意とする。
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