
子供の頃にお気に入りだった絵本、覚えていますか?
私は『うさぎのくれたバレエシューズ』という絵本が大好きでした。しょっちゅう図書館から借りてきては、見開きいっぱいに描かれる桜やバレリーナの衣装のピンク色にうっとりしたものです。物語の筋は忘れても、いくつかの印象的なシーンは絵とともに今も思い出すことができます。
子供のためのカラフルな絵本が誕生したのは、19世紀後半のイギリスでした。その立役者が、デザイナーで画家のウォルター・クレインです。
幼児がアルファベットを覚えるための絵本から、ディズニーのアニメーションでもお馴染み『美女と野獣』『シンデレラ』『アラジン』などのおとぎ話、マザー・グースの童謡など、子供たちのための絵本を数多く世に送り出し、当時から高い評価を得ていました。
また、いま流行りの“擬人化”も先取りしており、晩年に手がけた「フラワー・シリーズ」ではタンポポやゆり、バラなど様々な花を擬人化させ、オリジナルの物語を絵本の中で展開させました。
デザイン性が高く、大人も魅了される絵本を作ったウォルター・クレインについて探ってみましょう。

マルチな才能を持った職人気質のデザイナー
ヴィクトリア女王の統治下、繁栄をきわめていた大英帝国。その世相が活写されたドイルの探偵小説『シャーロック・ホームズの冒険』が連載されていた頃、優れたデザインと色彩感覚で華麗な挿絵本を作ることに情熱を注いでいたウォルター・クレイン。クレインは、見開きのページを意識するという絵本そのものの設計に目を向けた最初のデザイナーであり、絵本の基礎を築いた重要な画家の一人です。
1845年、画家の息子としてリヴァプールに生まれたクレインは、木口木版の工房に入りデッサンの基礎を学びました。挿絵画家として才能を開花させ、多色刷木口木版の技術を開発した彫版師・刷師のエドマンド・エヴァンズとともに1865年に全ページカラー刷りのトイ・ブック(簡易なつくりの絵本)を生み出します。その後、トイ・ブックのヒットを足がかりに、大判でデザイン性のある美麗な絵本の制作にも乗り出します。
1877年頃から絵本の仕事を離れますが、生涯にわたって挿絵の分野で数々の傑作を生み出します。その一方で、壁紙、テキスタイル、室内装飾などのデザイナーとして活躍。また、教育者や熱心な社会主義者としての顔も持っていました。
クレインは、ラファエル前派や大英博物館に展示されている古代ギリシア彫刻、日本の浮世絵から影響受けています。特に浮世絵と出会ってから、クレインは絵に影をつけるのをやめ、しっかりとした輪郭線を描くようになり、色彩も大胆になりました。クレインらしい絵の様式が確立されてくると、絵の登場人物たちの表情も豊かになっていきました。
商業主義に反発 アーツ・アンド・クラフツ運動に参戦
産業革命後、人々は物質的には満たされているものの、労働や生活の変化についていけず、精神的な豊かさが失われていることへの不安を感じるようになっていきました。こうした社会に警鐘を鳴らしたのが、批評家のジョン・ラスキンでした。芸術家と職人が分離せず、人々が日常の労働の中に創造の喜びを見出していた中世を理想として掲げたラスキンの思想は、ラファエル前派にも影響を与えました。
大量生産が可能になった結果、安価で手に入るが粗悪な商品ばかりが流通するようになっていたヴィクトリア朝の時代。ラスキンの思想に影響を受けた詩人でありデザイナーのウィリアム・モリスは、装飾美術がすっかり商業主義的になってしまったことに強く反発。手工業や手仕事による制作活動の再生・復興を目的とする芸術運動「アーツ・アンド・クラフツ運動」を先導しました。モリスとともに活動した芸術家の中に、ウォルター・クレインの姿もあったのです。
手仕事にこだわった製品は高価なものになるため、結局裕福な階層の人々にしか手に入れられなかったという批判もありますが、生活と芸術を一致させようというモリスの思想は世界各国に広まり、アール・ヌーヴォーやウィーン分離派などに影響を与えることとなりました。
クレインの絵を見に行こう
ウォルター・クレインの芸術を本格的に紹介した、日本で初めての展覧会が千葉県の千葉市美術館で開催されています(5月28日まで)。
キャパシティ以上の仕事をこなし、モノと情報の波に翻弄され、精神的な余裕を失くしている多くの現代日本人。産業革命直後のイギリスの人々と通じるものがあると思いませんか?芸術と生活を一致させようという思想に賛同していたクレインの絵本を見ていると、忘れていた何か大切なことを思い出させてくれるような気がします。
お出かけするのにもちょうど良い気候になってまいりました。クレインの描くファンタジーの世界に浸りに、千葉まで遊びに行ってみてはいかがでしょう?
※千葉市美術館ホームページはこちら