
「疑問符」の視点を持てば持つほど楽しくなる展覧会
なぜ、17世紀のフランス国王のコレクションには肖像画と歴史画が多いのか?
フジタの画風が、晩年において突然明るくなるのはなぜか?
色々なところに「疑問符」を持ちながら鑑賞することで、非常に奥行きのある見方ができる展覧会である。もちろん、専門家ではないのだから、きちんとした「模範解答」など出るはずはない。しかも、「答え合わせ」をするだけの資料もない。
それでも、自分なりに納得のいく「推測」が出来ると、非常に大きな満足感が得られると思う。本展にはそんな楽しみがたくさん詰まっている。
展覧会HP
http://www.sjnk-museum.org/program/current/4652.html
自分なりの推測
冒頭にも述べたように、本展の楽しみ具合は「疑問符をいかに多くもつか」と「自分なりの推測をいかに考えるか」に、大きく依存してくると思われる。
自分の推測を恥ずかしながら記載してみる。
1. なぜ、17世紀のフランス絵画には肖像画と歴史画が多いのか?
本展の第1章「国王たちの時代」に出品されているフランス絵画は、ほとんど全て肖像画か神話画である(イタリア絵画やネーデルラント絵画は除く)。これはなぜか?
当時は国王の権力が非常に強かった時代であることから考えると、国王自身が、自分の権力や教養を誇示したかったのではないか?
もっと突き詰めると、そのようなことをしないと国王の権力を民衆に浸透しきれなかったのではないか?
絶対王政の時代、民衆が国王をある意味で恐れていたのに対し、国王もまた、別な意味で自身の権力を失うことを恐れていたのだと思う。
だからこそ、このような権力を誇示するような肖像画や、自身の教養の深さをあえて表に出すような神話画が描かれたのだと私は推測した。
2. フジタの画風が、晩年において突然明るくなるのはなぜか?
本展の最終章では、38点ものフジタ作品が出品されている。この作品をよく観察すると、晩年において急に画風が明るくなっているのだ。これはなぜか?
私は、「戦争」の影響であると考えた。フジタは戦前にフランスで過ごしていたものの、戦時中に一度日本に帰国している。現在アメリカから無期限貸与されている戦争絵画は、このときに描かれたものである。
当時のフジタは自身の創作欲を満たすために、作品を制作した。しかし、国はそれを国民の意識高揚に使った。フジタの純粋な意欲は、当時の国の思惑に呑み込まれてしまったのだ。それを悟ったときの彼の心中は決して穏やかではなかったはずだ。
戦後、彼はフランスに戻り、祖国に帰国することはなかった。
彼がフランスで求めたのは、「純粋に作品を制作する喜び」ではなかったか。だからこそ彼は、明るい画風の、誰もが喜びを感ずる作品をつくりつづけた。
しかし、人間は嫌な過去をそう簡単に忘れられるものではない。ランス大聖堂の壁画に描いた宗教画に死を扱った暗い主題の作品が多いのは、もしかしたら、彼の過去を投影したゆえかもしれない。あるいは、晩年に至って死を意識したゆえかもしれない。
おしまいに
専門家の方々からみれば、上述の「推測」は全くの「的はずれ」かもしれない。しかし、漫然と鑑賞するよりも、このような自分なりの「視点」を持った方が、より楽しい鑑賞となることは間違いないと思う。そんな気がした展覧会であった。