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龍墨の濃淡、ただものではない!友松

龍墨の濃淡、ただものではない!友松

京都国立博物館、開館120周年記念特別展覧会「海北友松」見に行きました。

龍を描けば日本一!その名は、友松。

彼の描く龍は、当時朝鮮にまで渡り、条約締結のための贈答品になっていました。
展覧会を迎えてくれたのは、海北友松67歳の作品、雲竜図(部分)建仁寺(京都)です。

龍は、頭がらくだ、角が鹿、耳が牛、体が蛇といったように全部で9種類の動物に似るとされる神獣です。ふだんは大海や地底に住み、ときに天にのぼって雲や雨を自在に操ると伝えられるところから、古くより水墨画の好画題とされています。

美術館内の2頭の巨龍は、スケールの大きさと墨の気迫が凄まじく、今にも飛び出しそうでした。本当に無彩色?わたしには、火の玉のように感じました。

海北友松(かいほう ゆうしょう)1533年~1615年

狩野永徳(かのう えいとく)や長谷川等伯(はせがわ とうはく)と並び称される桃山画壇の巨匠です。戦国の世の中、近江浅井家の家臣・海北綱親(つなちか)の五男(もしくは三男)として生まれます。しかし友松が、3歳の時に戦死したため、東福寺に喝食(かっしき)として入ります。
喝食とは、幼少の時から寺に預けられて、有髪で学問をする稚児のことです。
禅僧としての修行を積みつつ狩野派の絵を学びます。
友松が、41歳の時浅井長政が織田信長に滅ぼされ、兄たちも討死します。
彼は、還俗し武門としての海北家の再興を試みるが、その夢は叶わず、結局狩野派絵師としての道に進みます。
友松が絵師として頭角を現すのは、師とされる狩野永徳が急遽した後、60歳を過ぎてからのことです。
以降彼は83歳でなくなるまで、精力的に水墨画や金碧画の大作を書き続けました。

安土桃山時代は、どんな時代?絵は、オーダーメイド?

この時代は、織田信長や豊臣秀吉ら天下人による巨大な建築に象徴される時代。
彼らは、城を飾る障壁画を絵師たちに描かせて権力を示しています。
絵師たちは、自分たちの描きたいものを描くのではなく、オーダーされたものを描いたのです。
現代風にいえば、オーダーメイドです。
そんな中、60歳以降の作品には、独自の様式が表れます。それが、今までの狩野派にはない友松風です。

友松風とは?

袋人物 友松

①人物像では、「袋人物」。着ている衣が風をいっぱいにはらんだ袋のように見える、おおらかでゆったりとした人物像。

海北友松の描写

②樹幹の上(お猿の下の部分)の部分は、描き消す。
友松は、木の幹を描くとき、その上部や下部をはっきりと描かなく、そこに幹があるかのように余白つくっています。

③ピンポイントに色を施す。花や草の部分にバランスよく色を施しています。

また、波や水流の表現などにも友松流の特徴があります。

墨の濃淡に魅了されて…

ふだんの暮らしの中で、色に囲まれています。私の持つ見本帳では、白~黒は、無彩色として、17段階です。
つまり白~グレー~黒までの濃淡の度合いが、17種類あるということです。

今回、友松の水墨画を見て、墨の流れるような濃淡、筆の勢いあるスピード感、何も描かれていない余白の空気感に魅了されました。

とても17段階の白~黒とは、思えなかったです。友松風とは、何か?を追いかけたレポートとなりました。

この記事のライター

aloreライター片桐です
1964年生 既婚 愛知県一宮市住在 会社員
<好きなこと>
美術鑑賞/本、雑誌を読むこと/能のお稽古/着物を着ること/レトロな喫茶店に行くこと/テンションのあがる音楽/人の話を聞くこと/
<取得資格>
国際カラーデザイン協会 カラーデザインマスター/日本カラリスト協会 1級パーソナルカラーリスト/色彩診断士/東商カラーコーディネーター1級(環境色彩)/アートエバンジェリスト/日本色彩学会会員

アート&色。お手すきのときにお読みくださいね。
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