
2つのミュシャ展行ってみて・・・
ここ最近、ミュシャの作品を鑑賞する機会が2回あった。
6月5日まで国立新美術館で開催されていた「ミュシャ展」では、「スラブ叙事詩」全20作の大迫力に圧倒された。
7月2日まで伊藤忠青山アートスクエアで開催されていた「FEEL THE Mucha HEART~民衆のための芸術(デザイン)とチェコへの愛~」では、色鮮やかな曲線美にうっとりとしながら作品を鑑賞することができた。
今回は、立て続けに開催された2つの展覧会を通して、ミュシャの人物像や、彼の生きた時代の背景に迫ってみたいと思う。
ミュシャとは誰か?、アール・ヌーヴォーとは何か?
アルフォンス・ミュシャは、1860年オーストリア領モラヴィア(現チェコ)生まれ、1939年没(享年79)。
19世紀末に、ポスター・装飾パネル作品を中心に制作し、活躍した作家である。
その画風は「アール・ヌーヴォー」と呼ばれ、彼は世紀末芸術を代表する巨匠の一人として知られている。
ミュシャが活躍した19世紀末のヨーロッパでは、「印象主義」や「ポスト印象主義」といった「目に見える」ものを描く風潮から、夢、幻想、恐れといった「目に見えない」ものを描く「象徴主義」という風潮に移行していた。
そこには、いわゆる「世紀末の恐怖感」といったものが背景として存在していたことは否めないだろう。
「アール・ヌーヴォー」は、このような時代に登場した芸術運動の一つである。その特徴は何といっても、美しい曲線。
ミュシャの作品の特徴は「独特な色彩美」と「美しい曲線美」とに集約されるのだが、なぜ、彼はこのような作品群を、19世紀末に残したのだろうか?
そして、なぜ、当時の人々は、彼の作品を受け入れたのだろうか?
ミュシャ展@国立新美術館

本展の「スラヴ叙事詩」作品(全20作品)は、とにかくキャンバスのスケールが大きい!
しかし、遠くから眺めた圧倒感だけで終わってしまっては、非常にもったいない。
作品によく近づいてみると、遠くからでは決してわからなかった、描写の細かさに再度驚かされるのだ。
「圧倒的な大きさの作品スケール」と「驚くほど細密な描写」という、対照的とも思えるような二つの特徴を兼ね備えた作品が、文字通り「びっしり」。
では、なぜ、ミュシャはこのような作品群を描いたのか?
ミュシャは、自身の故郷であるチェコや、スラヴ民族に非常な愛着を抱いており、その愛着から、スラヴ諸国の自由や独立を求める闘いに際して、民族の結束をより強固にすることを思い立つ。
そこで制作されたのが、「スラヴ叙事詩」。祖国や民族への愛着を、その歴史を追う形で作品化したのだ。彼は、この作品群(全20作品)を通して、スラヴ民族の意識高揚を願った。
- 原故郷のスラヴ民族
- ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭
- スラヴ式典礼の導入
- ブルガリア皇帝シメオン1世
- ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世
- 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン
- クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ
- グルンヴァルトの戦いの後
- ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師
- クジーシュキでの集会
- ヴィートコフ山の戦いの後
- ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー
- フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー
- ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛
- イヴァンチツェの兄弟団学校
- ヤン・アモース・コメンスキー
- 聖アトス山
- スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い
- ロシアの農奴制廃止
- スラヴ民族の賛歌
ミュシャ展@伊藤忠青山アートスクエア

本展では、ミュシャ作品が、ほぼ時系列で展示されており、彼の「関心」が移り変わるさまを見ることができた。
ミュシャは、1894年、サラ・ベルナールの依頼で描いたポスターで一躍有名になる。このときの彼は、「一部の人間にしか理解できない芸術ではなく、誰もが喜べる芸術」を目指して、作品制作にあたった。
本展前半では、彼の作品に秘められた「華やかさ」が存分に味わえるように構成されていた。
誰もが「世紀末の恐怖感」にさいなまれていた19世紀末、「非日常的」ともいえる、華やかな色彩と独特の曲線美を有した、ミュシャの作品が人々に受け入れられたことは、非常に大きな注目に値するだろう。
また、ミュシャは、1899年、パリ万博の作品をオーストリアから依頼されたのをきっかけに、「民族意識」に目を向けることとなる。
冒頭にも書いたように、彼の生まれたチェコは、当時オーストリア領。「自分達を苦しめているオーストリアの貢献に手を貸していいのか?」彼は悩み、苦しむことになる。
この「悩み、苦しんだ、民族意識」が滲み出る作品が、本展後半に展示されていた。「通りいっぺんの華やかさ、美しさ」とは一線を画する作品群の迫力に、私は圧倒された。
おしまいに
ミュシャの作品は、どれも美しい。
しかし、その「美しさ」に秘められた、「誰もがわかる作品を」という彼の思いや、「自分がスラヴ民族のためにできることとは何か?」という、民族意識に関わる彼の葛藤は、そう簡単に理解できるものではあるまい。
「分からないものを、分からないと認識した上で、分かろうとすること」の大切さを、ミュシャの作品を通して、強く感じることが、私にはできた。