
ウェールズ国立美術館所蔵「ターナーからモネへ」
2018年1月28日、日曜日、午後3時。
東名高速の渋滞に怯え、御殿場サービスエリアの残雪に驚きながら、やっとのことで辿り着いた、静岡市美術館。
写実主義から印象主義への流れについて、分かりやすい解説と共に展示されていた作品を鑑賞していると、ふと、気になることがあった。
作品に描かれている、「影の色」だ。
影を気にするなんてナンセンス?でも・・・
クールベなど、いわゆる「写実主義」といわれるグループに分類される画家の作品は、どれも影の色が黒や灰色などの「モノトーン」なのだ。
それに対し、モネを中心とした、「印象主義」に入るグループの画家の作品に描かれている影は、実に「カラフル」であった。
改めて会場で、自身の影をみてみると、当たり前ながら、「モノトーン」だった。
何だか不思議と面白かった。
写実と印象の違いって、こんなところにもあるのかな?
写実主義では、「見たまま」を表現することを理想のスタンスとしている。
しかし、その後の印象主義においては、いかに「感じたまま」を表現できるかが勝負だ。
AさんとBさんとが同じ風景を見て、それを絵画に表現したとしよう。
「写実」を目指せば、眼前の風景と二人の作品の三者が「そっくり同じ」となることが理想だ。
しかし、「印象」を目指せば、この三者は異なって当然だし、むしろ、どれだけ「同じ作品がないか」(オリジナリティがあるか)が、巧拙の分かれ目となる。
さて、それを踏まえて「影の色」である。
「影」見て、私は考えた。
クールベは、とことん「写実」にこだわり、リアリティを追求した画家である。
当然、彼が描く影の色は、全て黒である。
実際に太陽光線が作り出す影が、黒色なのだから、彼が影を描く際には、黒以外に塗る選択肢は、「始めからない」のだ。
しかし、印象主義のモネの場合には、この「束縛」がなくなる。
「自分の感じ方を、いかにして作品として表現するか?」にかかっている印象主義においては、影の実際の色など、「どうでもいい」のだ。
大事なのは、モネが影を何色だと「感じたか」である。それがモノトーンであってもいいし、カラフルであってもいいのだ。
「正確」と「正直」
写実主義における「現実への正確さ」の追求と、印象主義の「感性への正直さ」の追求の違い。
それが、「影の色」という、一見、作品の主題からは離れた、些末とも思える部分に、かなりはっきりと現れていたことが、私には、すごく興味深かったし、新鮮でもあった。
「静岡まで来て、本当によかった」と、満足感に浸りながら、私は、美術館を出た。