AE-Salon Webマガジン「alore(アローア)」

私の風景画の楽しみ方

私の風景画の楽しみ方

「知らない」、「訊けない」からこそ楽しめる

下の写真は、先日、私がドライブ先で撮影したものである。

この写真だけを見て、どこを撮影したかが分かる人はまずいないだろう。

もし、撮影した私がそばにいれば、あなたは私に「ここはどこですか?」と尋ねるかもしれない。

しかし、それが出来ない場合には、どうするか?

もし、私があなたならば、「ここがどこか?」ということは「ひとまず置いて」、川の水の綺麗さや山々の美しさを感じとった上で、撮影した人(この場合は私)が、「なぜ、ここを撮影したのか?どんな魅力を感じたのか」を考える。

私の風景画の楽しみ方は、これと同じである。

プーシキン美術館展とターナー展

今、東京で開催されている「プーシキン美術館展」と「ターナー展」は、どちらも風景画が中心の展覧会だ。

作品に描かれている場所を、私はほとんど知らなかった。しかし、私にはこれらの展覧会は、非常に満足度の高いものであった。

クロード・ロランはなぜ、誰も行ったことのない場所を「理想」として風景画を描いたのか?

無数にある花の中からモネはなぜ、「睡蓮」を描くことにしたのか?

ターナーの作品にはなぜ、海や川などの「水の描写」がこれほどまでに多いのか?

展覧会では、その答えはどこにも書かれていない。でも、だからこそ私には「満足度が高かった」のだ。

「自分なりの答え」を考える楽しさ

先ほどの疑問に対して、おそらく「定説」としての「模範解答」は存在するのだろう。でも、それがすぐにわかってしまったら、私の「想像の余地」はどこにもなくなってしまう。それではつまらないではないか。

ロランやモネやターナーの感じ取った「美しさ」を、自分なりに想像してみることが私の「風景画の楽しみ方」である。

私の「想像」は、あるいは大きく外れるかもしれない。しかし、それでも構わないと私は思う。

人間が人間を理解するのに、一回でうまくいくことなどあり得ない。

自分なりに、作者の「美学」を考え、感じとり、そして、また次に同じ作者の別の作品を見たときに、自分の考えを変えていく。

そういう作業を通してしか、作者の「人間性」を理解することなどできないだろうし、そのプロセスこそが、風景画に限らず、絵画鑑賞の醍醐味なのだと私は思う。

空気感の効用

ちなみに、冒頭に挙げた写真は、山梨県の道志村で撮影したものである。

実際に訪れて、その場所の空気感を感じると、また写真の見方も変わってくるだろう。

おそらく、それは絵画でも同じこと。ジヴェルニーを訪れる前と後とでは、モネの作品への見方や感じ方は、きっと違うはずだ。そうやって、自分の見方や感じ方の幅が広がるのはとても楽しいことだろう。

この記事のライター

aloreライターmilkhoppy
<出身>
仙台生まれの東京・川崎育ち。

<所有資格>
アートエバンジェリスト、美術検定2級、教員免許。
 
<意気込み>
「正確なインプットと分かりやすいアウトプット」を、常に心がけ、頑張りたいと思います。
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