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〜第2回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

〜第2回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

前回は、聖書とは何かというお話を簡単にさせていただきました。
今回は神とイスラエルの民の契約の物語が語られる旧約聖書の中から、絵画のモチーフとして人気のあった物語をピックアップして見ていこうと思います。
※3回に分けて、とお伝えしましたが、ご紹介したいお話を絞りきれなかったので延長する予定です。

天地創造

「神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」
天地創造第一日目、神は混沌とした闇の中に光を創り、昼と夜を分けました。二日目は空と水を分け、天を創りました。三日目には陸と海を創り、草木が生まれました。四日目は太陽と月、五日目は魚と鳥、六日目には陸に住む動物を創りました。さらに生き物の全てを支配する存在として、土の塵を集めて神の姿に似せた人間を創り、アダムと呼びました。七日目、天地創造は完成し、神は安息しました(いわゆるホリデー)。

天地創造といえばミケランジェロが手がけたシスティーナ礼拝堂の大天井画(制作年は1510年頃)。ミケランジェロの描く神は、彼好みの屈強な肉体を持つ白髭の老人。神が白髪白髭の老人の姿で描かれるようになったのは14世紀以降のことで、それまでは、茶色い長い髪を真ん中分けにして、黒っぽい髭を生やした男性の姿で描かれていました。神聖さを表すため真正面を向いて左右対称のポーズをとり、光輪を背負っています。この人物だけを見るとイエス・キリストと見分けるのが難しいのですが、周りに動物たちや太陽と月などが描かれていれば天地創造の物語を描いているということが推測できます。

エデンの園のアダムとエバ

ドイツで初めてヌードを描いたのは、アルブレヒト・デューラーといわれています。その画題は《アダムとエバ》(1507年、マドリード、プラド美術館)でした。天才デューラーが理想的な人体比例の研究を行った成果の一つです。

楽園(エデンの園)で暮らしていたアダムとエバ(イヴ)が蛇の誘惑に負け、神から禁じられていた善悪の知恵の木の実を食べてしまう。罰として女のエバは産みの苦しみを、男のアダムは労働の苦しみを背負わされ、楽園を追放されてしまう、というのは誰もが知っているお話。
聖書は神と人間の契約のお話が語られています。「善悪の知恵の木の実だけは食べてはいけない」という神との約束は、人間にとって神から与えられた初めての戒律ともとれますね。神との約束を破るという、アダムとエバが犯した人類史上初の罪を「原罪」と呼びます。

大洪水とノアの箱舟

アダムの子孫である人間たちは、地上に繁栄し、やがて、神への感謝を忘れ堕落していきました。神は人間を創ったことを後悔し、大洪水をおこして他のすべての生き物諸共一掃してしまおうと決意します。しかし、ノアだけは神に従う無垢な人間だったため、神はノアに糸杉で箱舟を作らせ、ノアの一族と全種類の動物のひとつがいだけを乗せて助けることにしました。
大洪水を生き延びたノアたちを神は祝福し、もう洪水は起こさないという契約のしるしに、燃えるように輝く虹を出現させました。

奇妙な生き物や独特の世界観を描くヒエロニムス・ボスの《快楽の園》(1505-16頃、マドリード、プラド美術館)をご存知でしょうか。人間の罪を主題とした三連祭壇画で、2枚の外翼パネルを観音開きに開くと《快楽の園》の絵が現れます。実は《快楽の園》を閉じた時に、外翼パネルにグリザイユ(単色画)で描かれた別の絵が現れます。漆黒の闇を背景に、ガラス玉のように浮かぶ大きな球体。闇の中の左上部には小さく神らしき姿が描かれています。球体の内部には地がひろがり、植物とも動物とも分からぬ何かがいます。この絵は天地創造第3日目を表していると考えられ、《天地創造》と呼ばれていますが、ノアの洪水後の荒れ果てた世界を表しているという説もあるそうです。《快楽の園》が大洪水で一掃される直前の堕落しきった人間の世界を表していると考えると、それも頷ける気がします。

バベルの塔

上野の東京都美術館に来日したピーテル・ブリューゲル1世《バベルの塔》(1568年頃、ボイマンス美術館)をご覧になった方も多いかと思います。ブリューゲルは全部で3つのバベルの塔を描いており、一つは現存せず、もう一つはウィーンの美術史美術館に収められています。ウィーン版のバベルの塔には、塔の建設を命令したニムロデ王の姿が描かれ、より物語性が強く表現されています。

神の祝福を受け、地上に繁栄していったノアの子孫たちは、皆同じ言語を話していました。レンガやアスファルトを用いるという技術を身につけた彼らは、自分たちの能力を誇るようになっていきました。彼らを治めていたニムロデ王は、この地が繁栄し人々の繋がりが切れることのないよう、天まで届く巨大な塔を造ってみんなで住もうじゃないか、と考え実行に移します。しかし神は、高い塔を作って神に近づこうとするのは人間の高慢である、と断罪。神は人々の使う言葉をバラバラにして、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまいました。混乱した人々は各地へ散り散りになり、やがて見捨てられた街はバベル(混乱)と呼ばれるようになりました。

人間の高慢さを嗜めるお話のように思えますが、実はそれだけではなかったようです。バベルの街のモデルになっているのは、古代メソポタミア文明期に実存したバビロンの街であるといわれています。バビロンはシュメール人の街で、月の女神を祀るための、高い塔を持つ神殿を建設していました。ヤハウェだけを唯一の神とするイスラエルの民からすれば、異教の神を祀る邪悪な神殿に見えたのでしょう。この物語には、そうした異教への批判が込められているのです。

ここまで、旧約聖書創世記の前半部分を見てきました。
次回は創世記の後半から見ていこうと思います。

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この記事のライター

aloreライター橘高あや
千葉県在住。アートエバンジェリスト。美術検定2級。楽しい美術鑑賞の伝道師を目指して精進中。
得意分野は浮世絵と宗教画。絵画から物語を読み解くことが好き。
趣味は読書と料理、御朱印集め。
好きな言葉は温故知新と不易流行。古きものも新しきものも、一時の流行からも学び取り面白がれる人間が理想。
アートは心を、人生を豊かにしてくれます。作品との対話は自分との対話。思いもつかないような多種多様な表現と出会い、それに対する自身の反応から、自分に対する新たな発見を得ることができます。異なる価値観を知り理解することは、他人への理解や許容につながります。アートと付き合っていると、自分にも人にも優しくなれる気がするのです。閉塞感に苛まれる現代社会をアートの力で変えていけたら。そんな思いでおります。
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