AE-Salon Webマガジン「alore(アローア)」

〜第3回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

〜第3回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

絵画の題材になった聖書の物語をご紹介する本シリーズ。
これまで、旧約聖書の創世記前半部分のお話を見てきました。
続いて今回は創世記後半、イスラエルの民の祖となる人たちのお話を見ていこうと思います。

一族の頭領であり世襲的な権威を持った家父長を“族長”と呼びます。創世記後半は、族長が持つ「後継問題」の話と、特定の土地を持たず砂漠を移動して生活する「寄留民の生き様」を描いた物語が中心になるので、この部分のお話をまとめて「族長物語」と呼びます。

それでは、「旧約聖書は神とイスラエルの民との契約の物語」というポイントを押さえつつ、大洪水を生き延びたノアの子孫、アブラハムのお話からみていきましょう。

イサクの犠牲

大洪水の後、定住の地を求め漂泊していたノアの子孫たち。ある時、ノアの長男の血を引く青年アブラハム(イスラエル国民の祖とされる)は、「私が示す地に行きなさい」という神の声を聞き、一族を連れて“約束の地カナン”を目指して過酷な旅に出ます。
(道中、アブラハムは甥のロトと別れることになるのですが、近親相姦という過ちを犯すロトと娘たちも人気の画題となりました)
やがて、長年子宝に恵まれなかったアブラハムと妻サラの間に待望の長男イサク(笑いの意)が誕生。ところが、神はイサクを生贄として捧げるようアブラハムに命じます。アブラハムは苦悩の末、神の言葉に従う決心をします。薪を背負わせたイサクを連れて山を登り、祭壇を作りました。そして、イサクの頭を押さえて頸部を斬りつけようとした、まさにその時、天使が現れてアブラハムを止めました。呆然とするアブラハムに神が語りかけます。「あなたは大事な息子さえ、わたしに捧げようとした。わたしは誓う。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を夜空に輝く星くずのように、いっぱいにしよう」
アブラハムは藪に引っかかった牡羊を見つけ、イサクの代わりに生贄として神に捧げました。

イサクの犠牲はカラヴァッジオやレンブラントといったバロックの巨匠たちも好んで描いたテーマです。間一髪のところを天使が止めに入るドラマティックな瞬間は、強い陰影表現のバロックが似合います。
薪を背負って山を登るイサクは、十字架を背負ってゴルゴタの丘を登るイエスの姿を予見させるものとされており、生贄の牡羊も磔刑にされたイエスと同一視されています。

ヤコブ、天使と闘う

成長したイサクは、妻リベカとの間に双子の男の子をもうけます。月日は流れ、年老いたイサクは長男エサウに跡取りとして祝福を与えようとします。しかし、弟ヤコブを可愛がっていたリベカの計略により、イサクは騙されてヤコブに祝福を与えてしまいました。これを知って怒り狂ったエサウは、父が死んだ日にヤコブを殺すと宣言。ヤコブは母の兄ラバンを頼って逃亡。ヤコブはラバンの娘ラケルと結婚し幸せに暮らしていましたが、逃亡から20年経ったある日、故郷カナンへ帰る決意をします。故郷に近いヨルダン川のほとりまで来た時、ヤコブは他の者を先に行かせ、一人野営をすることにします。夜を迎えた頃、突然誰かがヤコブに組みついてきました。暗闇の中、何者かと格闘するヤコブ。腿の関節を外され、足が痺れてもヤコブは相手を離しませんでした。相手が「もうすぐ夜が開けるから去れせてくれ」というと、ヤコブは「わたしを祝福するまで放しません」と返しました。すると、相手は「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエル(神に勝った者)と呼ばれる」と言ってヤコブを祝福しました。その後ヤコブは兄エサウと和解し、故郷カナンで生活するようになりました。

フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワが最後に描いた大作は《天使とヤコブの闘い》(1856-61年,パリ、サン・シュルビス聖堂サン・ダンジェ礼拝堂)でした。また、ポール・ゴーギャンは《説教のあとの幻影(ヤコブと天使の格闘)》(1888年,エディンバラ、スコットランド国立美術館)で、北斎漫画の力士図から構図を引用した形で天使とヤコブを描いています。

ギュスターヴ・モロー 《ヤコブと天使》

ギュスターヴ・モロー 《ヤコブと天使》(1874-1878、イギリス、ハーバード美術館)

フランスの象徴主義の画家ギュスターヴ・モローは、聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られています。モローが描いた《ヤコブと天使》はちょっと不思議。涼しい顔でヤコブの腕を抑える天使と、ほぼ何も抵抗できないヤコブの姿。道徳的で精神的な力(天使)は身体的な力(ヤコブ)より優位であるということを表現しているのだとか。

ちなみに、ヤコブが闘った相手は有翼の天使であるというイメージがありますが、初期キリスト教美術では天使ではなく神と闘っている絵もあるそうです。

ヨセフ物語

創世記の最後を飾るのは、ヤコブの子ヨセフの物語。
ヤコブには側室などの子も含め全部で12人の子供がおり、中でも美貌の恋女房ラケルとの間に生まれたヨセフを殊の外可愛がりました。ヨセフの腹違いの兄達はこれに嫉妬。ヨセフは旅の商人に奴隷として売り飛ばされてしまいます。エジプトの侍衛長ポティファルに買われ重用されたヨセフでしたが、ポティファルの妻の誘惑を拒絶したために「ヨセフに襲われた」と嘘をつかれ投獄の憂き目に遭います。しかし、ヨセフは夢占いという特技でエジプト王の悩みを解決し、大飢饉から国を救い、ついに出獄を許されエジプト王国の高官の地位を与えられます。やがて兄たちと再会したヨセフは彼らを許し、父ヤコブの一族をエジプトに呼び寄せて平和に暮らしました。

ヨセフの生涯はイエスの予型(予兆)と見なされ、キリスト教美術では重要視されました。
人体描写が良い意味で生々しくなったルネサンス期以降、ポティファルの妻がヨセフを誘惑するシーンがよく描かれるようになります。色々妄想を掻き立たせてくれてオススメなのが、カラヴァッジォに影響を受けたバロック時代の画家オラーツィオ・ジェンティレスキの《ヨセフとポティファルの妻》(17世紀、イギリス王室コレクション)。絵の中の二人の交わす言葉が気になります。

 

さて、族長編終了とともに創世記もこれにて完。
次回は旧約聖書に出てくる英雄や女性たちにスポットライトを当ててみたいと思います。

54

この記事のライター

aloreライター橘高あや
千葉県在住。アートエバンジェリスト。美術検定2級。楽しい美術鑑賞の伝道師を目指して精進中。
得意分野は浮世絵と宗教画。絵画から物語を読み解くことが好き。
趣味は読書と料理、御朱印集め。
好きな言葉は温故知新と不易流行。古きものも新しきものも、一時の流行からも学び取り面白がれる人間が理想。
アートは心を、人生を豊かにしてくれます。作品との対話は自分との対話。思いもつかないような多種多様な表現と出会い、それに対する自身の反応から、自分に対する新たな発見を得ることができます。異なる価値観を知り理解することは、他人への理解や許容につながります。アートと付き合っていると、自分にも人にも優しくなれる気がするのです。閉塞感に苛まれる現代社会をアートの力で変えていけたら。そんな思いでおります。
Return Top
error: Content is protected !!