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〜第7回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

〜第7回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話

本シリーズ旧約聖書篇の最後は、聖書外典で語られる女性が主役の物語。

まずは、ユダヤの民間伝承に伝わる英雄ダニエルの活躍が語られる『ダニエル書』の中に登場するスザンナのエピソードを見ていきましょう。

スザンナと長老(ダニエル書)

ソロモン王の死後、分裂して弱体化していったイスラエルはバビロニア帝国に攻略されてしまいました。ユダヤ人がバビロンに捕囚されていたその時代に、夢解きの力を持ったユダヤの青年ダニエルはバビロニアの宮廷で地位を獲得していきます。

ダニエルが少年の頃のこと。
好色な二人の長老が、ヨアキムという裕福な男の所有する果樹園に忍び込み、ヨアキムの妻スザンナが水浴する姿を覗き見していました。悪心を起こした二人は、「自分達のいうことを聞かなければ、若い男と姦通したと言いふらすぞ」とスザンナを脅迫しますが、スザンナはこれを拒絶し、助けを求めて叫び声をあげました。
騒がれて逃げ出した二人の長老は、腹いせにスザンナを姦通罪で訴えました。当時、姦通罪は死罪でした。裁判にかけられたスザンナは有罪となり、死刑を宣告されます。しかし、長老たちの話に疑問を抱いたダニエルが二人を別々に事情聴取すると、二人の証言が食い違い、嘘をついていることが発覚。スザンナの疑いは晴れ、二人の長老は石打ちの刑で死刑となりました。

スザンナはヘブライ語でユリを意味し、ユリは純潔の象徴です。スザンナの物語は、純潔が悪に勝つ、純潔な魂が救われる、という解釈から、迫害されていた人々の救いとなる物語でもありました。

《スザンナの水浴》ティントレット (1555 – 1556、美術史美術館、ウィーン)
《スザンナの水浴》ティントレット (1555 – 1556、美術史美術館、ウィーン)

ルネサンス期のヴェネティア派を代表する画家の一人、ティントレットが描いたスザンナ。生垣から覗く長老たちの視線にはまだ気づいていないご様子。
バテシバと並び、女性のヌードを描く格好の口実として画家たちから人気のあった主題です。中世ではダニエルの活躍を主題にした絵の中で脇役的に登場したスザンナでしたが、ルネサンス以降はスザンナの裸体の官能美をメインにした構図が多くなりました。

ホロフェルネスの首を狩るユディット(ユディット記)

極端に女性の活躍についての記述が少ない聖書。フェミニズムの議論の中で槍玉に挙げられることもありますが、それはさておき、その聖書の中の数少ない女傑ユディットの物語を見ていくことにしましょう。

ある時、ユダヤ人の町ベトリアが、将軍ホロフェルネス率いるアッシリア軍に兵糧攻めにされました。水源まで断たれ、もはや降伏する他ないと諦めたその時に立ち上がったのがユディットでした。信仰心篤く、人望もあった美しき富豪の未亡人ユディット。彼女は豪華に着飾り、侍女一人だけを連れてアッシリア軍の野営地に乗り込み、味方を裏切ったふりをしてホロフェルネスに取り入ります。
ユディットの魅力にすっかりメロメロになってしまったホロフェルネスは、彼女のために三日三晩宴会を開いて歓待しました。そして4日目の夜、ユディットと二人きりになり、いい気分で酔いつぶれて眠り込んでしまったホロフェルネス。それを見計らったユディットは、剣を抜いてホロフェルネスの首を切り落としました。侍女が持っていた食料袋にホロフェルネスの首を突っ込み、ベトリアの町へ戻るユディット。かくして将を失ったアッシリア軍は動揺して撤退、ベトリアの町は救われたのでありました。

聖書では、ユディットが元来いかに信心深く貞淑な女性であったかが強調され(ホロフェルネスとも「一線は超えてません」的なセリフまである)、ユディットは美徳の象徴であり、「美徳が悪徳に打ち勝つ物語」として解釈されました。ユディットは剣を持ちますが、剣は「正義」の象徴でもあります。実はユディットとはユダヤを意味する名前で、ユダヤ民族を擬人化した物語だったのです。

ホロフェルネスの首を斬るユディット》カラヴァッジオ(1598 – 1599、パルベリーニ宮 (国立古典絵画館)
《ホロフェルネスの首を斬るユディット》カラヴァッジオ(1598 – 1599、パルベリーニ宮 (国立古典絵画館)

「美女が男性の首を斬る」という、ショッキングであり何某かの暗喩を含んでいそうなこのシーンは、画家たちのインスピレーションを刺激しました。

バロック期の絵画界にユディット旋風が起こり、たくさんのユディット作品が制作されました。カラヴァッジォの《ホロフェルネスの首を斬るユディット》もその一つ。
ユディットが華奢すぎるとか、こんな体勢じゃ首は斬れないとか、血しぶきが嘘くさいとか、まぁ色々突っ込まれがちですが、カラヴァッジョらしい明暗の迫力は楽しめると思います。ユディットといえばこの絵を思い浮かべる方も多いかもしれません。

《ユディットI(部分)》グスタフ・クリムト(1901、オーストリア絵画館、ウィーン)
《ユディットI(部分)》グスタフ・クリムト(1901、オーストリア絵画館、ウィーン)

19世紀の世紀末美術において、ユディットは新約聖書に登場するサロメとともにファム・ファタール(恋心を抱いた男を破滅させる運命の女)的な存在としてブームが再燃します。
サロメも生首を持っているのでややこしいですが、サロメはお盆の上に首を乗せて持っています。

クリムトの描いたユディットは、肌もあらわに恍惚の表情で男の生首を持っています。この絵のモデルは裕福な銀行家の妻で、一説によるとクリムトと愛人関係にあったとされるとか。モデルと特別な関係になければ、この表情は描けないかもしれませんね。

 

さて、ここまで描かれた旧約聖書の物語を読み解いてまいりました。
多くの日本人にとって、キリスト教聖書、ましてや旧約聖書については触れる機会があまりに少ないので、興味関心が薄いのは仕方のないことです。
美術作品などを通して聖書の物語に出会った時に、「あ、天使と取っ組み合いしてるのはヤコブかな」「あ、女性のヌードだけど覗き見してるジジィが二人いるからスザンナかな」と思い出しながら鑑賞して楽しんでいただければ嬉しいです。

新約聖書篇もぼちぼち綴っていこうと思います。

引き続きお付き合いいただければ幸いでございます。

この記事のライター

aloreライター橘高あや
千葉県在住。アートエバンジェリスト。美術検定2級。楽しい美術鑑賞の伝道師を目指して精進中。
得意分野は浮世絵と宗教画。絵画から物語を読み解くことが好き。
趣味は読書と料理、御朱印集め。
好きな言葉は温故知新と不易流行。古きものも新しきものも、一時の流行からも学び取り面白がれる人間が理想。
アートは心を、人生を豊かにしてくれます。作品との対話は自分との対話。思いもつかないような多種多様な表現と出会い、それに対する自身の反応から、自分に対する新たな発見を得ることができます。異なる価値観を知り理解することは、他人への理解や許容につながります。アートと付き合っていると、自分にも人にも優しくなれる気がするのです。閉塞感に苛まれる現代社会をアートの力で変えていけたら。そんな思いでおります。
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