
4月。
日本でも卵やウサギをモチーフにした、イースター関連の商品や飾りつけをよく見かけるようになりました。
キリスト教のお祭りであるイースターは、十字架に架けられたイエス・キリストが三日後に復活したことを祝うもので、キリスト教圏ではクリスマスよりも大事にされているそうです。
イースターの日にちは「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」。2018年は4月1日でした(4月8日とするところもあります)。
ところで、ユダヤ教には、旧約聖書の時代から今現在に至るまで行われている春祭り、過越(すぎこし)の祭りがあります。エジプトの奴隷状態だったイスラエルの民が、神によって救い出されたことを祝うお祭りです。
過越の祭りが行われるのは「春分の日の後の、最初の満月の日」。
イースターと日にちが近いですね。
それもそのはず、イエスは過越の祭りの日に磔刑にされたのです。
イエスが生きていた時代も、ユダヤの人々は過越の祭りを大切な日としていました。
この日が近づくと、大勢のユダヤ教徒が神殿詣でのために各地からエルサレムに集まってきます。
過越の祭りまであと一週間という日に、イエスは弟子たちとともにエルサレムへやってきました。
しかし、エルサレム入りはイエスにとって大変危険なものでした。パリサイ派やサドカイ派といった敵対勢力が、民衆の支持を得ていたイエスをどうにか貶めようと待ち構えているのです。
エルサレムへ向かう道中、イエスはすでに自らの運命を悟り、覚悟を決め、弟子たちに自分は死刑になり三日後に復活すると語っていました。
神殿を清めるイエス
エルサレムの神殿の境内にやってきたイエス一行。
たくさんの商人が屋台を出し、大いに賑わっていました。
するとイエスは「わが父の家を商売の家とするな」と声を荒げて商人たちを一喝。屋台をひっくり返し、両替商の金をばら撒き、商人たちを追い払ってしまいました。

画面中央、赤と青の衣服に身を包み、鞭を振り下ろさんとするイエス・キリスト。その左側で慌てふためく商人たち。イエスの右側にいるのは十二使徒と言われています。
ギリシャのクレタ島出身の画家グレコは、この主題を繰り返し描きました。本作はそのうちの一つです。
グレコは、均衡のとれた美しい人体表現などのルネサンス的な調和を崩し、誇張や変形を加えた独自の表現を追求したマニエリスムの代表的な画家の一人です。
エル・グレコというのはイタリア語で「ギリシャ人」を意味する通称で、本名はドメニコス・テオトコプーロス。本作画面左下、赤い服の女性が腰掛ける段にギリシャ語で本名をサインしています。
エルサレムに着いて早々、大立ち回りを演じて人々の注目を浴びてしまったイエス。そんなイエスを亡き者にするため、敵対勢力は密かに策を講じていました。そして、イエスの弟子の中の、ある男に目をつけるのです。
最後の晩餐 裏切り者はこの中にいる!
神がエジプトを撃つ前夜、モーセの言葉によってイスラエルの民は生贄の子羊の血を玄関に塗っておいたため、神はその目印のある家は避けて(過ぎ越して)行きました。その故事に習い、過越の祭りの前夜であるこの日も、子羊を焼きパンを食べる儀式が行われました。
エルサレムのとある家の広間で、イエスと十二人の弟子たちもこの儀式を行うためテーブルに着きました。
食事を始めようとしたその時、イエスが突然こう告げます。
「あなたがたの中の一人が、わたしを裏切ろうとしている」

イエスの言葉に騒然となる弟子たち。
「これを与えるのがその人だ」
イエスはパン切れを手に取り、イスカリオテのユダに与え、こう言いました。
「しようとしていることを、今すぐするがよい」
ユダは悲鳴をあげ、部屋を飛び出して行きました。
ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》といえば、誰もがどこかで一度は目にしているであろう名画中の名画。ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁画です。
中央に座るイエス。その左、仰け反るような体勢でイエスを見つめる黒髪に褐色の肌の男がユダ。
この絵が描かれた当時、裏切り者のユダを明確に区別できるよう他の弟子たちと離して描くことが慣例となっていましたが、ダ・ヴィンチは本作でその慣例を破りました。以降、あらゆる画家たちが最後の晩餐のシーンを思い思いにドラマティックに描いてきました。
裏切り者と看破されたユダが部屋を飛び出して行ったあと。
残された弟子たちに、イエスは自分の肉体になぞらえたパンをちぎって渡し、「これは多くの人のために流すわたしの契約の血だ」とぶどう酒を与えました。
そして、晩餐が終わると、イエスは弟子のペテロとヤコブ、ヨハネを連れてオリーブ山へ向かったのでした。