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鶴岡八幡宮からマティスまで~遠近表現いろいろ~

鎌倉の遠近表現

鎌倉の鶴岡八幡宮に行くとき、駅から八幡宮に向かって若宮大路の道幅が狭まっていることに気付く人はどれだけいるだろうか?歩いていてはなかなか分からないが、運転するとハンドルをまっすぐ保っていられないのですぐに分かる。

鶴岡八幡宮への若宮大路(写真奥が八幡宮)

 

これこそ、現代に残る典型的な遠近表現の一つであろう。道を実際よりも長く見せるために、こんな細工をしているのだ。

ルネサンスの遠近表現

これは有名。八幡宮と同じ原理だ。鎌倉から遠く離れたイタリアで、「よりリアルに」対象を見せるために編み出された。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》1495-1498年

 

ちょっと面白いのは、編み出された目的の違いだ。八幡宮は「実際を偽るために」、イタリアは「実際により近づけるために」遠近表現を使っているのだ。

この対照性は、なかなか興味深い。

印象派の遠近表現

これも、よく本に載っている。モネの睡蓮は、日本の浮世絵や絵巻の描き方を参考に描かれている。

クロード・モネ《睡蓮》1916年

 

八幡宮やイタリアとの違いは、「見ている側の視点が動く」ということ。そうでなければ、特に日本美術の俯瞰表現と人々の細かな描写との共存はあり得ない。

鎌倉駅や晩餐テーブルの前から一歩も動かずに遠近を表現するよりも、視点を様々に移動させて描いた睡蓮や浮世絵や絵巻は「より人間的」だったということも出来るだろう。

マティスの遠近表現

これは「トリック」の妙だ。

冷静に考えるとわかるのだが、窓から画家までの距離はそれほどない。ただ、そう見せない「トリック」があるのだ。

ヘンリ・マティス《窓》1916年

 

床を斜傾させて描いているのだ。

これをされると、見る側には床が実際よりも立体的に見え、さらに窓からの距離が実際よりも長距離に見えてしまう。実に巧妙な「トリック」である。

おしまいに

「奥行きをどのように表現するか」が、画家にとって古くから重要なテーマだったことは、周知のとおりである。

ただ、目を背けてはいけない真実は、「どうやっても完全な奥行き表現は不可能」ということである。

二次元に三次元を表現するのは物理的に不可能なのだ。

ただ、不可能だからこそ、「落としどころ」は無限に存在する。それをどこに設定するかが、画家の、様式のオリジナリティなのだろう。

この記事のライター

aloreライターmilkhoppy
<出身>
仙台生まれの東京・川崎育ち。

<所有資格>
アートエバンジェリスト、美術検定2級、教員免許。
 
<意気込み>
「正確なインプットと分かりやすいアウトプット」を、常に心がけ、頑張りたいと思います。
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