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〜第15回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話 新約聖書篇⑧そしてゴルゴタの丘へ

〜第15回〜西洋美術の鑑賞に役立つ聖書のお話 新約聖書篇⑧そしてゴルゴタの丘へ

過越の祭りの日の前日、夕食を囲んでいた席で、弟子たちはイエスからユダの裏切りを知らされました。
最後の晩餐を終え、3人の弟子を連れてオリーブ山に向かったイエス。
過酷な運命を前にしたイエスの葛藤から、物語を再開いたしましょう。

ゲッセマネの祈り

オリーブ山のゲッセマネの園に着くと、イエスは弟子たちと少し離れたところで一人祈り始めました。
「父よ、どうかこの杯をわたしから取りのけてください……いいえ、わたしの思いなどどうでもよいのです。御心のままになさいますよう」
間もなくやってくる、残酷な己の最期を予見しているイエス。杯はイエスの心の葛藤、苦しみの象徴です。苦しみから逃れたいという人間らしい気持ちと、神の子として運命を受け入れなければならぬという思いが交錯し、イエスは悶えながら祈り続けました。
イエスは、祈りを3度繰り返しました。その度に弟子たちの様子を見に戻ってきては、眠りこけている弟子たちを起こして「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈りなさい」というのですが、どうしても弟子たちは眠ってしまいます。
そして、祈りを終えたイエスは、やはり眠りこけている弟子たちを起こして、こう言いました。

「時が来た。見よ、わたしを裏切る者が近づいて来た」

ルーカス・クラナッハ(父) 《ゲッセマネの祈り》 (1518、国立西洋美術館、上野)
ルーカス・クラナッハ(父) 《ゲッセマネの祈り》 (1518、国立西洋美術館、上野)

ルネサンス期のドイツの画家クラナッハが描いた本作。
クラナッハといえば、妖しげな女性を描く人というイメージが強いでしょうか。クラナッハは宗教界との繋がりが強く、この絵が描かれた頃には自らのブランドを確立し、王族からもカトリック教会からもプロテスタント教会からも、ひっきりなしに注文が入る大工房を持っていました。
画面中央、祈りを捧げるキリストの前に現れた天使は、聖杯と十字架を持っています。画面下部には眠りこけるペテロとヤコブとヨハネ。
イエスのすぐ左に目をやると、武器を持った大勢の兵士を連れた黄色い服の男がやってくるのが見えます。

ユダの接吻

祈りを終えたイエスのもとに、武装したローマ兵を連れたユダがやってきました。
ユダはイエスに近づくと「アボニ(先生)!」と呼んで接吻をしました。
それを合図にローマ兵たちはイエスに飛びかかり、身柄を拘束。
大司祭の家へ引き立てられていくイエスの姿を見て、弟子たちは一目散に逃げて行きました。

カラヴァッジオ《キリストの捕縛》(1598,アイルランド国立美術館,ダブリン)
カラヴァッジオ《キリストの捕縛》(1598,アイルランド国立美術館,ダブリン)

接吻しようとするユダ。飛びかかる兵士。静かに目を閉じて、なすがままのイエス。驚いて逃げようとする弟子。
イエス・キリスト捕縛の瞬間をドラマティックに切り取ったカラヴァッジオによる本作。画面右端の男はカラヴァッジオ本人がモデルではないかと言われています。
本作で描かれているように、ユダはユダヤ人を象徴する黄色い服を着て、黒髪にヒゲの生えた中年男性の姿で描かれることが一般的です。
銀貨30枚でイエスを売ったと言われるユダ。のちにイエスの有罪が確定したと聞いて後悔し、イチジクの木に縄をかけて首をつり、自ら命を絶ちました。

ゴルゴタの丘

夜が明けて、イエスと対立していた祭司長たちは、神殿を侮辱した罪でイエスの身柄をローマ総督ピラトのもとへ送り、最終判決を迫りました。しかし、どれだけ祭司長や律法学者がイエスにとって不利な証言をしても、エルサレムの法律に触れているわけではないので、ピラトもどうしてよいやら困ってしまいました。
そこで、ピラトは過越の祭りの日に行われる罪人の恩赦を適用しようと考えました。祭りの当日である今日は、総督であるピラト自身の権限で罪人の一人を釈放できるのです。
ところが、ピラトが集まってきた群衆に向かって「お前たちは誰を釈放してほしいか。強盗のバラバか、それともキリスト(救世主)と言われるこの男か」と問いかけると、群集はバラバを恩赦にかけるよう叫びました。
イエスと敵対する人たちが、バラバの釈放を求めるよう群衆を煽動していたのです。
熱に浮かされたように叫ぶ群衆の声に、ピラトはバラバを釈放することを決断。
イエスはその場で鞭打たれ、十字架につけられるために兵士たちに引き立てられて行きました。
兵士たちはイエスに茨の冠を被せ、葦の棒で叩いたり蹴ったりしながら「ユダヤ人の王、万歳!」と言って散々に侮辱しました。
イエスは自らが磔にされる十字架を背負わされ、人々の罵声や嘲笑を浴びながら、ゴルゴタ(髑髏)の丘へ向かって行きました。

ドメニキーノ《ゴルゴタへの道》(1610年,J・ポール・ゲティ美術館,カリフォルニア州)
ドメニキーノ《ゴルゴタへの道》(1610年,J・ポール・ゲティ美術館,カリフォルニア州)

十字架の重さに耐えかねて倒れてしまったのでしょうか、地面に伏し顔をこちらに向けるイエスの頭には、茨の冠がつけた傷から血がし滴っています。
本作を描いたのはバロック期のイタリアの画家ドメニキーノ。アンニーバレ・カラッチの優秀な弟子でしたが、ナポリ派閥の画家たちから過剰な嫌がらせを受け、心労のため亡くなったと言われています。一説には毒を盛られたのではないか、とも。なんだかこの不遇の画家とイエスは境遇が似ているような気がしてしまいます。

この記事のライター

aloreライター橘高あや
千葉県在住。アートエバンジェリスト。美術検定2級。楽しい美術鑑賞の伝道師を目指して精進中。
得意分野は浮世絵と宗教画。絵画から物語を読み解くことが好き。
趣味は読書と料理、御朱印集め。
好きな言葉は温故知新と不易流行。古きものも新しきものも、一時の流行からも学び取り面白がれる人間が理想。
アートは心を、人生を豊かにしてくれます。作品との対話は自分との対話。思いもつかないような多種多様な表現と出会い、それに対する自身の反応から、自分に対する新たな発見を得ることができます。異なる価値観を知り理解することは、他人への理解や許容につながります。アートと付き合っていると、自分にも人にも優しくなれる気がするのです。閉塞感に苛まれる現代社会をアートの力で変えていけたら。そんな思いでおります。
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