
新約聖書もいよいよ大詰め。
福音書の記者たちが語るイエスの物語の最後を、名画とともに見ていきましょう。
イエスの最期
重い十字架を背負わされ、人々から罵声と嘲笑を浴びせられながら、ついにゴルゴタの丘に到着したイエス。
慣例に則り、兵士たちは受刑者であるイエスの衣服を剥ぎ取り、くじ引きで分け合いました。
過越の祭りの日の当日、朝9時ごろ、イエスは十字架に架けられました。最後の晩餐からここまで、一夜にして起きた出来事だったことになります。
イエスの他に二人、十字架に架けられた男たちがいました。別件で逮捕された罪人で、一人はイエスを嘲り、もう一人はイエスを庇う発言をしました。イエスは自分を庇う発言をした男に「あなたは私とともに楽園に行くでしょう」と言ったとされます。
正午ごろから空が突然暗くなり、午後3時にイエスが亡くなるまで続きました。
イエスが亡くなった時、神殿の垂れ幕が真っ二つに引き裂け、岩が裂けるほど大地が震えました。見物に集まっていた人々は、「本当に神の子だったのだ」と語り合ったといいます。
イエスの最期の言葉は福音書によって異なりますが、一番有名なのは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのです)」と大声で叫んだ後、息を引き取ったというものです。ルカの福音書では「父よ、わたくしの霊をみ手に委ねます」と叫んだと記されており、受ける印象が変わってきます。

磔にされた6時間の壮絶な苦痛から解放された静けさ。凄惨でありながら美しい、スペインの巨匠ベラスケスによる磔刑図です。
イエスの頭上には罪状の書かれた板が見えます。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と、ヘブライ語、ローマ語、ギリシャ語で書かれています。
血の滴る右脇腹の傷は、イエスが絶命したことを確かめるために兵士が槍で刺した跡です。
「遺体を引き取らせて欲しい」
勇気ある申し出をしたのは、アリマタヤ出身のヨセフという身分の高い議員の男でした。ローマ総督ピラトはこれを許し、イエスは十字架から降ろされました。

本作のタイトル《ピエタ》は、イタリア語で 「悲しみ」「哀れみ」「慈愛」などを意味します。十字架から降ろされたイエスの亡骸を前にした聖母マリアの悲しみを表す、伝統的な主題です。
フランスの画家、ギュスターヴ・モローは、岩屋で静かにイエスの亡骸を抱き悲しむマリアの側に神の聖霊を表す鳩を描き入れ、幻想的な作風で表現しました。
母と息子の悲しみの対面をした後、遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフは亜麻布でイエスの遺体を巻き、自身が所有する土地の岩をうがって作った墓の中に納め、大きな岩で蓋をするように入り口を塞ぎました。
キリスト復活
イエスが亡くなって3日目。
イエスの墓から遺体が忽然と消えるという事件がおきました。
そして、途方にくれる弟子たちの前に、イエスは姿を現したというのです。
イエスの復活を伝える弟子の証言の一つが、エマオという村での出来事でした。
イエスの弟子の二人が、エルサレムからエマオという村に向かって歩いていると、巡礼姿をした旅人と出会いました。
弟子の二人は、旅人にエルサレムでここ数日に起きた悲しい出来事を語って聞かせました。
すると、
「あなた方は心が鈍いから、預言者の言葉を信じられないのですね」
旅人はそう言って、弟子二人に(旧約)聖書に書かれたキリスト(救世主を意味するヘブライ語“メシア”のギリシャ語訳)について丁寧に説き明かしはじめました。旅人の話に、二人の心は熱くなりました。
弟子二人はエマオの村に到着すると、先を急ごうとする旅人を引き留めて夕食を共にしました。
旅人は祝福してパンを裂き、イエスの弟子二人に渡しました。
その時、二人はこの旅人がイエスであることに気づいたのです。
しかし、次の瞬間、イエスの姿は消えてしまっていました。
二人は慌ててエルサレムに引き返し、自分たちの身におきた出来事を他の弟子たちに語りました。

驚きのあまり、一人は両手を大きく広げ、一人は椅子から身を乗り出しています。弟子たちがイエスに気づいた瞬間を、イタリアバロックの巨匠カラヴァッジオ がドラマチックに描いた傑作です。
カラヴァッジオはマルコの福音書の記載に拠り、イエスを髭のない若者の姿で描きました。
死後、弟子たちの前に現れたイエスは、弟子たちに自分の教えを思い出させ、弟子たちはイエスの教えを広めるべく本格的に活動を始めます。
時に迫害を受け、数多くの殉教者を出しながらも世界中にその教えは広がり、今日に至ります。
終わりに
3回で終わらせるつもりで始めたこの連載も、気がつけば16回。一年半かけてようやく最終回を迎えることができました。
本シリーズでは絵画に描かれた内容に沿って、極力筆者の推測などは挟まず通説をまとめる形を取りました。
「知ってる話と違う」と思われたエピソードもあったかもしれませんが、聖書を構成する書物によって、同じ主題でも内容が異なる場合もありますので、「諸説あり」ということでご容赦ください。
聖書の物語には、紹介しきれなかった魅力的なエピソードがまだまだたくさんあります。このシリーズとの出会いを機に、旧約聖書やキリスト教絵画を身近に感じて、絵画鑑賞をさらに楽しいものにしていただければ幸いです。