アート探しは意欲が大事!
アートと聞いて条件反射的に「美術館に飾られている絵画作品」や「お寺の仏像」を連想してしまうのは、おそらく私だけではあるまい。
しかし少し考えればすぐ分かるように、その連想はあまりに短絡的だ。
本来的に人を心地よくさせるあらゆるものがアートである以上、意欲があれば特別なところに行かなくても毎日のようにアートを探し出すことはできる。
散歩中に見つけたアート
ある休みの日、私は海岸を散歩していた。

ぽかぽかとした日曜日の午前中、高速道路の向こうに相模湾がきれいに広がっていた。海は光を反射させながらきらめいており、遠くには伊豆半島や伊豆大島が見渡せた。
私はこの日常的な海辺の景色をとても美しいと感じた。
アートの発見である。
特別な場所にある特別な作品だけがアートでは決してない。アートは私たちの日常生活の中でどこにでも転がっているし、それゆえに、どこにでも発見できるものなのである。
だからこそ、発見には私たちの普段の意欲がとても大切なのだ。
そう考えると、ある人が発見できたアートを他の人が発見できないこともよくある事だろう。
でも、アートとは本質的にそんなものなのだと思う。
体感するアート
私はドライブが大好きだ。暇を見つけてはいろいろなところに出かけているが、運転動作にもアートはたくさん転がっている。
アクセルペダルを踏んだ時に聞こえるエンジンの躍動的な音や体全体に伝わるシートの小刻みな振動は、それを心地よく感じる限りはまぎれもなくアートであろう。
そしてペダルを通して足に伝わってくる気持ちの良い感触もまた、アートだ。
山道でハンドルを切ったときに体全体にかかる遠心力もそうだ。
だからドライブはやめられない。
行儀よく鑑賞するだけがアートではない。
体感するアートも、生活の中にたくさんあるのだ。
おしまいに
アートを日常的なものとしてとらえることは、決して簡単ではないだろう。
でも、私は思うのだ。
誰もが日常的にアートに接しているし、今後も接し続けるだろう。大切なのは接していることに気付けるかどうかだ。
誰でも楽しめるはずのアートが、「気づいた人」だけの特別なものになってほしくない。
そう思って私はこの記事を書いた。
さあ、今のあなたにアートは見つかるだろうか?