これがアート?

『壊れたトイレのペンダント』
これは、スイスのジュエリー作家ベルンハルト・ショービンガーの作品です。
壊れたトイレが、まさかのペンダントに!
しかもこれが展示されていた場所は、高級ブランドエルメスのお店の8階にあるギャラリー『銀座メゾンエルメス』です。(展示は既に終了しています)
「これってアートなの?」
その疑問は、アート好きかどうかに関わらず、今までに1度は誰しも頭をよぎったことがあるのではないでしょうか。
では、壊れたトイレのペンダントは実際アートなのでしょうか。
トイレと言えば、今から100年前、マルセル・デュシャンというアーティストが、トイレの便器にR.MUTTとサインを入れただけのものをニューヨーク・アンデパンダン展に発表し、それが今のアートを大きく変えたと言われています。
ショービンガーのトイレのペンダントを見て、
「あぁ、トイレがアートの概念を変えたんだよなぁ」
と思う人もいるかもしれないし、
「着飾ることを目的としているはずのジュエリーが、元トイレで、しかも破片という、万が一本当に身に着けたら体を傷つけかねないものであるということ。
なんだか人間の欲望の行きつく先を見ているようだ…」
と考える人もいるでしょう。
アートとは、“それがあることによって、普段の生活では到底思い至らない思考へと誘ってくれるもの”なのかもしれません。
あなたも既にやっている⁈毎日の中でのアート体験

例えば、生花を部屋に飾ること。
美しい絶頂の時を愛でる事だけが花の楽しみ方だとずっと思っていました。
でも最近は、徐々に萎れ朽ちていく様にぐっと心惹かれるようになりました。
美しいままに、ある日突然ぽとんと首を落とす花もあれば、1枚1枚花びらを散らしていき、茶色くなっていく花もあります。
潔さも粘り強さもどちらも美しくて、私はいつも萎れた花も最後まで飾っておくことにしています。
花を暮らしにおくことは、身近な生死に触れること。
花はその都度、己の生き方に向き合う時間を与えてくれるのです。
それはひとつのアート体験と言えるのではないでしょうか。

例えば、骨董の器を使うこと。
骨董というと高価なもの、価値がわからない、と思う方もいるかもしれません。
実は私もその価値は全くわかっていません(笑)
値段のことを言うと、我が家には300円~600円の骨董の器がたくさんあります。
でも例え1枚300円であっても、古いもの達は、ちゃんとたくさんの物語を背負っています。
傷があったり、欠けていたりすることもあります。
また、そうした部分に金継ぎや銀継ぎが施され、壊れてもちゃんと大事に現在まで使われてきたことがわかるものもあります。
そうしたもの達の歩みは、手で触れるとちゃんと伝わってきて、何とも言えない不思議な追体験の時間を私に与えてくれるのです。
また日常でそうした古いものたちを使うことで、日々の暮らしを大切にすることも気づかせてくれます。
自分の知らない時代の知らない誰かの身近にあったもの達が、今目の前にあって、私の食卓を彩っているという事実。
それもまた、ひとつのアート体験のような気がしてなりません。
「芸術というのは生きることそのものである」
または、一人一人によって答えが違うものなのかもしれません。
けれどきっとあなたも知らず知らずのうちに、毎日の中で“アート体験”しているはずです。
それがアートだということに気が付けば、美術館で見る絵や彫刻作品の中にももっと身近な“アート”が発見できるかもしれません。